無料ブログはココログ

Zenback

転職

2014年7月 6日 (日)

私が大手調剤薬局を退職し、ド田舎の地元の病院に転職した理由 転職後半年編

大手調剤薬局からド田舎の地元の病院に転職して半年がたちました。
転職時の心境をつづった「私が大手調剤薬局を退職し、ド田舎の地元の病院に転職した理由」を書くときに決めていたのですが、半年・1年単位くらいで経過をつづらなければいけないと考えていました。この度半年がたちましたので、経過を綴っておきたいと思います。

その前に、この転職ブログはかなり多くの方に見ていただいたようです。ありがとうございます。いろんなご意見もいただき、大変励みになりました。

半年がたち、書いたブログを読み返してみました。自分でいうのもなんですが、正直な気持ちが書いてあり、なかなか面白かったです()そういえばいろんなことを考え、悩んでいたなと思いだしました。でも、じっくり考えてよかったと思いました。
そして、そのとき思い描いていた自分の姿になれているかな?と考えてみました。少しずつ近づきつつあるけれども、まだまだ遠いかなというのが印象です。
半年たてばもう少し近づけると最初は思っていましたが、そう簡単にはいきませんよね。なかなかハードルは高いです。

地元に帰ってきて一番変わったのは、いち薬剤師としての責任感です。以前は会社の何百人の中の一人の薬剤師で、簡単に代えがきくと考えていましたが、今は町にいる数人の薬剤師の一人、病院にいる二人の薬剤師のうちの一人、ということで必要不可欠な存在であると、勝手に考えています。そのため無駄に責任感を感じて仕事をしております。
そのように感じているので、敢えて行動はやや控えめにしておりました。やりたいことはいっぱいあるのですが、焦って空回り気味になるのも嫌ですので。しっかり地に足をつけてやっていこうと思っています。そういった意味でも、最初思い描いていた姿よりは遅れているのかなと感じています。

地元に帰ってきて思うことは色々ありますが、一番感じるのは仕事がやりやすいことです。山口にいたときは、周りは知らない人だらけでしたから、何をするにも他人行儀だったりとか、手間がかかったりとか、周りとコミュニケーションを取ったり連携するのが難しかったように思います。今は同級生や後輩もいますし、両親や祖父の顔が広いこともあって、私を知っている人はたくさんいます。自分の意識の問題なのかもしれませんが、だいぶハードルは下がったように感じています。
でも連携にはまだまだ課題がたくさんあります。しっかり自分や自分のできることをアピールしていかなければならないと感じています。特に薬薬連携は、今までほとんどできていなかったようなのでこれから作り上げていかなければなりません。でもこれに関しても、私が実習をさせていただいた薬局だったり、学校の先輩がいたりで私にとっては非常にやりやすい環境にあります。何度か薬局を訪問させていただきましたが、特に印象の悪い薬局はなかったので、うまくやっていけるのではないかと感じています。今後の流れを考えると薬薬連携はは非常に重要だと思いますので、病院がイニシアチブを取って積極的に進めていきたいと考えています。

さて、私が転職を考えたきっかけにもなった二つの課題がありました。一つは「すべての患者さんを家族のように愛する」ことが、見ず知らずの土地だったためできていなかったのではないかということ、二つ目は「医療=町づくり」と考えたときに、地元なら積極的に関与できるのではないかということです。これを検証していきたいと思います。
まず、「すべての患者さんを家族のように愛する」ということについてですが、残念ながらまだそれは実現していません。薬剤師が不足しており、ほとんど調剤室にいることが大きな原因です。正直、このマインドについては転職前よりも下がっているかもしれません。ただ、この病院に入院、通院しているだけで親近感が湧いているのも事実ですので、そういった意味では、少しくらいはそういったマインドも感じながら仕事ができているのではないかと思います。これは今後の大きな課題ですね。やはり医療者たるもの患者さんを見て仕事をしないといけません。
もう一つの「町づくり」に関してですが、こちらにもまだあまり関与できていません。たくさんの人の協力がいりますので、半年ではあまり進んでなくても仕方ないかなと感じています。うちの町に関しては、薬剤師があまり外へ出られていないので、そういった意味でもなかなか難しいです。まずは多職種の方に名前を覚えてもらい、様々な連携を通じて、目標に近づけていければいいかなと考えています。長い月日がかかりそうです。
現状ではこの二つの課題はクリアできていません。ただ、とても重要なことに間違いはありませんので、しっかり課題ととらえて少しでも近づいていきたいと思っています。

最後に、薬剤師不足について書いていきたいと思います。現状、町全体にも病院にも薬剤師が不足しています。今後の在宅医療の展望を考えると、薬剤師が足りないのは致命的です。土日になると、薬剤師が町から姿を消してしまうことも大きな問題です。また病院内は、最低限の業務を行うのが精一杯です。服薬指導も病棟業務も地域連携もやっていきたいですけどね…。せめてあと一人いれば…もし、田舎の地域医療に興味のある方は、お気軽にご連絡ください!
そして、こういった薬剤師に恵まれていない田舎にこそ、大手調剤薬局が進出してくる必要があるのではないかと最近感じています。田舎は薬剤師不足。ですが、都会では飽和しつつあると聞いています。採用力のある大手調剤薬局がたくさんの薬剤師を採用し、田舎に薬局を作りそこへ薬剤師を送り込む。こういったことも大手調剤薬局の役割なのではないかとかんじています。いかがでしょうか?特に福井県は分業率がダントツに低いです。まだまだ分業の余地はありますし、分業していかなければなりません。ぜひ積極的に進出してきてほしいと思います。田舎の方が密な連携ができ、今後のモデルとなるような店舗ができるかもしれませんよ!なんて言ってみたりして…

そんなこんなで、長かったのか短かったのか分からない半年が経過しました。もう少し先に進んでおきたかったですが、ぎりぎり合格点といったところでしょうか。まだまだ道半ばではございますので、しっかりと目標を見据えながら日々精進し、「田舎の地域医療を志す薬剤師」として努力していきたいと思います。
また半年後、経過を報告したいと思います。ではまた。

にほんブログ村 病気ブログ 薬・薬剤師へ
にほんブログ村

薬剤師ブログタイムズ ブログランキング参加中! クリックしてこの記事に投票

2013年11月 7日 (木)

私が大手調剤薬局を退職し、ド田舎の地元の病院に転職した理由 その7 完

この一年は本当にたくさんの出会いがあり、いろいろ悩みました。
そして、結局地元の病院に転職することに決めました。

その理由は、
「なぜ自分は山口にいるのか?」
「門前薬局というビジネス、処方箋通りに薬を渡す薬剤師って何なのだろう?」
ということの答えを見つけ、
自分なりに『医療の本質』が理解できたからだといえます。

私が考えるに、『医療の本質』とは『町づくり』だと思います。
最近地域医療という言葉をよく耳にします。
今年参加した多くの勉強会でも、しきりに地域医療についての話がされていました。

「なぜ今、地域医療なのか?」
先日、一橋大学の猪飼先生のお話を聞いてそれが分かりました。
地域医療の方が治療の質が高いから、だということです。

「では、なぜ地域医療の方が治療の質が高いのか?」
それは、他職種が連携することで、それぞれの専門分野での質が高まるからです。

日本在宅薬学会学術大会の豊田先生の発表の中にこういった言葉がありました。
「限界と適応」
それぞれの職種にはそれぞれ「適応」がありますが、一方で「限界」があります。
それを他職種が連携することでサポートしあい、よりよい医療ができるのだと思います。

ただ、この地域医療を考えたとき、果たして医療関係者だけで成り立つのかどうかという疑問が生まれました。
答えは「NO」です。
家族、知人、近所の方々、行政などなど、たくさんのサポートが必要です。
そういう意味で、私は『医療の本質』とは『町づくり』なのだと思います。

そして、その『町づくり』というのを考えたときに、自分は、薬剤師は、薬局は、どこで何をすべきかを考えました。

まず、「どこで」ということです。
選択肢に出てきたのは、社会人になってからずっといる山口、彼女のいる広島、
大学生活を過ごした大阪、そして地元の福井。
それとも全く知らない地域か。
でも『町づくり』をするとなると結果は必然でした。
今まで7年間山口にいましたが、根付けなかったです。
転勤が多かったこともあり、地域のコミュニティーにはなかなか入れなかったですし、
薬を渡すのも、どこの誰だか「知らない人」に渡していました。
川添先生に言われた「全ての患者さんを家族のように愛する」。
この気持ちになることはなかなかなれなかったです。
これは「知らない人」に薬を渡していたことが大きいと思います。
私が何か壁を作って知ろうとしなかっただけかもしれません。
地元だったら、この気持ちに少しでも近づけるのではないかと感じます。
少しでも知っている人なら、より親身になれるのではないかと。
町の住民ってだけで親近感が湧いてきます。
そう思うのも、私が育ったのが小さな町で、
町を歩けば知り合いに出会い、挨拶をするという習慣があったからだと思います。
そういった環境で『町づくり』をしたいと考えるようになりました。

もう一つ、前にも書いたように、地元は過疎が進み、廃れてきています。
「このままいくとどうなってしまうのか?」
正月に帰った時に本当に危機感が募りました。
高齢化が進み、医療者は少ない。
それならば、自分が少しでも『町づくり』に貢献したいと思うようになりました。

そして、「何をすべきか」。
病院薬剤師、門前薬局、ドラッグストア、行政。
色んな選択肢を考えました。
最初に考えたのは、自分で薬局をすること。それも「面」で。

なぜそう考えたかは、今の薬局のあり方に疑問があったからです。
昔ながらの誰でも気軽に入れない薬局は廃り、
処方箋を持った人しか入れないような門前薬局の台頭。
そして、処方箋通りに薬を渡す薬剤師。
町に出れば、薬やかスーパーなのか、よく分からない業態のドラッグストア。

セルフメディケーションが推進され、リフィル処方箋も見え隠れする。
ネット販売は今後ますます進展し、処方箋がネットの薬局で調剤される時代も来るだろう。
そして地域医療。
こういったことを考えると、いわゆる「まちの薬局」の再興が必要だと考えた。

ただ、そういった時代が来るにはもう少し時間がかかるし、
大学卒業後7年間山口にいたおかげで、地元の医療の現状が全く把握できていない、
それに経営的な知識も全くないので、これは諦めました。
今思えば、なんて浅はかなことを考えていたのかと思いますが(笑)

そして、この際、地元に貢献できるのなら何でもいいかな、と思うようになりました。
自分がまずしなければならないことは何か、まずそれを考えました。
それは地元でどのような医療が行われているのかを知ることでした。

小さい町なので、病院は1つ、診療所が2つ、調剤薬局は1つ、ドラッグストアは2つ。
この町の状況を知るには、この町の医療の中心である病院に勤めることが最適だと考えました。
幸い、空きがあり(というよりは常に空きがある…)、面接に合格することができました。
今病院には、私の高校の同級生が医師としていたり、
後輩が非常勤の医師として勤めていたりと、
なんだか面白そうな環境です。

母親も昔、臨床検査技師として働いていた病院で、
母親と父親が出会った場所(らしい)。
病院の老健には認知症の祖母が入所していて、
1年前に余命1カ月と言われ、その病院に入退院している祖父はまだ元気です。

そんな病院で勤めることができるのを嬉しく思います。

私の目標はあくまでも、町の医療に貢献し、『町づくり』をすること。
だから、数年後に薬局業界に戻ってくることも十分に考えられます。
そのときは、また温かく迎えてください。

長文になりましたが、読んでいただきありがとうございました。

私が大手調剤薬局を退職し、ド田舎の地元の病院に転職した理由 完

なお、今まで記載したことは私の主観ですのでございますので、誤解なきようお願い致します。
にほんブログ村 病気ブログ 薬・薬剤師へ
にほんブログ村
薬剤師ブログタイムズ ブログランキング参加中! クリックしてこの記事に投票

2013年11月 6日 (水)

私が大手調剤薬局を退職し、ド田舎の地元の病院に転職した理由 その6

SNSでのたくさんの出会いにも、私は大きな影響を受けました。

私が主に使っているSNSはtwitterとfacebook。
特にtwitterでの出会いが大きかったです。

今までにも書いてきたように、薬剤師のあり方なんてことに関して、
あまり議論したことはありませんでした。
でもtwitter上ではそんな意見がありふれていました。
たくさんの方が、薬剤師像、薬局像について語っていました。
私と同じような意見、全く違う意見、私よりもはるかに先を進んでいる意見など色々ありました。
そんな意見を見たり、意見交換をしているうちに、自分の考え方も高まっていきました。
気がつけば、すごく有名な先生と意見交換していることもありました。
自分はこのままじゃいけないと素直に思いました。
薬剤師も薬局もこのままじゃいけないとも思いました。

薬剤師だけではなく、Dr方の考え方も知ることができました。
twitterきっかけで知った先生の講演会に行ったり、本を読んだりできたこともよかったです。
twitterをしていなかったら、その方と出会ってなかったり、その意見を知ることがなかったのかもしれませんし。

そして、twitterで知り合った方々と実際に会うことができました。
ブロガーセミナーはtwitterきっかけで、主催の方に出会いました。
在宅薬学会、バイタルサイン講習会などでも実際にお会いしました。
今までは顔の見えない関係でしたが、実際に会うことで意見交換がしやすくなった気がします。

facebookでもたくさんの方々と交流ができました。
勉強会で知り合った先生方に友達申請を送って、半ば強引に友達になってもらいました。

twitterでもfacebookでも知り合いの方々は、私よりも優れている方ばかりです。
そういった方たちの考え方を知ったり、活躍の様子を見て、自分もそこに近づきたいと思いました。
自分の力の無さを痛感しましたし、まだまだ努力が足りないと思いました。
そういった自分よりレベルの高い方と繋がることが、自分を高めていく上で本当に重要なことだと思いました。

今年はこういった出会いを繰り返し、色んな事を考え、そして退職を決意し、
ド田舎の地元の病院に転職することを決めました。

明日は、本題の転職理由について書きます。
明日で全部書ききれるかな…

P.S twiter仲間で最近始まったのが薬剤師のジャーナルクラブ。
この時の勢いはすごかったですね。
熱意を持った人が集まると、こんな勢いで実現するのかと驚きました。
次回は12/17の21時からツイキャスで配信。
興味のある方はぜひご参加ください!

2013年11月 5日 (火)

私が大手調剤薬局を退職し、ド田舎の地元の病院に転職した理由 その5

twitterで開催を知って参加した薬剤師ブロガーセミナー。
当日は色々な学びがあって、とても勉強になりました。
このブログを始めるきっかけにもなりましたので。
それよりも、前夜祭が私にとっては刺激的でした。
そこには九州で活躍されている薬剤師の方々が集まっていました。
その方々と話をしていて思ったこと。
「これほど本気で薬剤師をしている人がこんなにもたくさんいるんだ。」
私にとっては衝撃でした。

今思えば、自社以外の方たちとはあまり話したことがなかったですし、
薬剤師を続けるつもりなんてなかったから、薬剤師としてどうしたいとか話したことはほとんどなかったです。
自社の薬剤師で集まると、まず店舗や人の愚痴を話し、その次は会社の施策の話をしていました。

本当に色んな人がいらっしゃいました。
将来の薬局像について熱く語る方、離島医療について熱く語る方、
学校薬剤師について熱く語る方。
どれもが新鮮でした。

学校薬剤師をしている大森先生の話がとても心に残っています。
「今の薬剤師は、今までの薬剤師の先生方が一生懸命作ってきた木の実を摘んでばかりいる。それではいけない。自分たちも実を作るようにしなければいけない。」
学校薬剤師という仕事を軽く見ていた自分に反省しました。

この後、学びの場と人との出会いを求めてたくさんの勉強会に参加しました。
どこでも自分の無知さを痛感するばかりでした。
出会った方は皆「本気」でした。

もう一つ、とても心に残っていることがあります。
それは7月の第一薬科大学生涯学習講座で、川添先生から聞いた言葉。
「全ての患者さんを自分の家族のように愛する。」

このマインドは私には決定的に欠如していました。
翌日からそれを意識して患者さんの応対を始めました。
意識しないといけないというのは、薬剤師としてかなり問題があると思いますが(汗)。
そうすると、いつもは聞かないようなことを患者さんに聞くようになりました。
おかげで業務効率は大幅に低下。残業が増えました。
上司からは怒られましたが、自分としては満足でした。

その他に参加した主な勉強会。
・日本在宅医療学会学術大会
 在宅には他職種の連携が必要なことが分かりました。
 歯科衛生士、管理栄養士等の重要性を認識しました。
・日本在宅薬学会学術集会
 在宅での薬剤師の活躍を多く知り、大変刺激を受けました。
 1人薬剤師でも臆することなく在宅医療をしていることを知り、
 何よりも地域、患者さんに貢献することが必要だと感じました。
・HIP研究会フォーラム
 ケアカフェに参加し、ケアマネさんと話をし、薬剤師がまだまだ関与できていない現状が理解できました。
 麻薬の知識、輸液の知識が足りないことを痛感しました。
・九州山口薬学大会、日本薬剤師会学術大会
 学んだことも多かったですが、どちらかというとお祭りでした(笑)
・日本腎臓病薬物療法学会
 この学会の刺激が一番大きかったかもしれません。
 かなり高度なお話ばかりで、自分の無知さを痛感しましたし、
 何よりもこの分野は薬剤師が責任を持ってやっていかなければならないと思いました。
 一番の衝撃は、あまり仕事のできなかった元同僚が堂々と口頭発表をしていることでしたが(笑)

そして多くの勉強会に参加し、「なぜ勉強会に参加するのか?」。
その理由が分かった気がします。

勉強会に参加することで、最新・最先端の情報が入手できる。
また、一流の人と出会える。
今の自分とのギャップを理解する。
そこに近づくための方法を知る。

だから、積極的に参加しないといけないんだと感じました。

今年はとんでもないお金はかかりましたが、本当に積極的に参加してよかったです。

今日はここまで。
明日はもう一つの大きな出会いをもたらしてくれたSNSについてです。

P.S 一昨日、初めて地域の健康福祉祭りに参加し、模擬薬局で子供たちに調剤を体験してもらいました。
みんな白衣を着て、薬包紙を折ったり、お菓子を分包したり、それを薬袋に入れたり。
みんな楽しそうにやっていました。
こういった活動で、少しでも、将来薬剤師になりたいと言ってくれる子が増えるとうれしいですね。

2013年11月 4日 (月)

私が大手調剤薬局を退職し、ド田舎の地元の病院に転職した理由 その4

第3回神戸医療イノベーションフォーラム。
上司の薦めということで、特に何も期待せずに参加したのだが、
その予想を大きく覆され、驚くことばかりだった。

一番影響を受けたのは狭間研至先生。
今までも書いてきたように、私は薬剤師という仕事に誇りを持てていなかったし、
薬を早く、正確に渡すのがメインで、夢なんてないなと思っていた。
まして薬局なんかは、Drの言いなりで薬を渡す施設というイメージだった。
でも、それがおかしいとは気づいていたし、まだまだできることはあると感じていた。
ただそれを口に出すことはなかった。
その考え方に自信を持てなかったし、みんなそうとは思ってない、と思っていたから。

でも狭間先生の話を聞いて驚いた。
自分の考え方と似たような考え方の人がいて、
それを大勢の前で披露している。
私の考え方は間違えじゃなかったと思った。

この時の講演の時間は短く、
2月に再び広島でお話を聞く機会があった。

先生のスライドでよく登場する「金魚鉢に入った金魚の写真」。
まさに私はこれだと思った。
何か閉塞感を持って仕事をしていた。
何かしようとしても、すぐに見えない壁にぶち当たる。
上は開いているが、飛び出せそうで飛び出せない。

「その②」で書いた「コバンザメ商法」、「タバコ屋」の話にも大いに共感した。

薬剤師なんて夢も希望もない職種だと感じていたので、
先生のお話を聞いて、そうではないことが分かったし、
むしろ、まだまだできていないことが多く、将来性は大きいと感じたのでした。

私はもしかすると、間違った薬剤師、薬局ばかりを見てきたのかもしれない。
でも、その流れは変わり始めている。
自分の考えは間違ってなかった。
薬剤師にどんな可能性があるのか勉強しよう。

そう思って、いつからか今年を「勝負の年」と自分に言い聞かせ、行動するようにした。

しばらく薬剤師の可能性に限界を感じ、薬剤師としての勉強をしていなかったので、
行動を始めると、自分の力の無さにびっくりすることが多かった。

そして行動を始めると、他の薬剤師と交流する機会が増えてきた。
今までは他の会社の薬剤師と話すことなんて考えてなかったし、
何なら、大手調剤薬局にいるから、そんなことをしなくても問題ないと思っていた。
その考えは大きく間違っていたことに気づかされた。
4月に鹿児島で開かれた「薬剤師ブロガーセミナー」。
ここでまた、大きな出会いが会った。

では、今日はこの辺で。

P.S 私が大きく影響を受けた、第3回神戸医療イノベーション。
それがustreamのアーカイブでご覧いただけます。↓
狭間先生以外にも影響を受けた方がたくさんいらっしゃいます。
遠矢先生、宮川先生、堀永先生、杉本先生、円城寺先生などなど。
ぜひご覧ください!
ちなみに、来年は1/26(日)13時~ 神戸ポートピアホテルにて開催されます。
ご興味のある方はぜひ!

2013年11月 3日 (日)

私が大手調剤薬局を退職し、ド田舎の地元の病院に転職した理由 その3

去年の暮れの上司との面談。
その時上司から思いがけないことを言われてしまいました。
詳細は省略しますが、もうこの人の元ではやっていけないなと。

でも何をしよう…
と、もやもやして正月に実家に帰省しました。
電車での帰省でしたが、1~2時間に1本しか電車は走っておらず、
乗り継ぎで1時間以上時間ができたので、隣町まで弟に迎えに来てもらいました。
その移動中、トンネルを抜けて隣町から地元に入った瞬間の光景を今でも忘れません。
「この町…
いつの間にこんなに寂れてしまったんだ…
そのうちなくなるんじゃないか…」

小さな町なので、いわゆる「過疎」という地域です。
しかも、原発と海水浴ぐらいしか取り柄がなかったのに、
原発は停止中。
海水浴客も年々減少中。(最盛期は120万人、今では20万人くらいのようです。)
そして、祖父が入院する、町で一番大きな病院へ。
(病院は3つありますが、あと2つは診療所です。結局ここで働くことになるのですが。)
ここでも衝撃が。
何と入院患者の多いこと…
このまま高齢化が進んだら、この町は誰が守っていくのだろう…
と素直に思いました。

その夜パチンコ屋で同級生と出会い、その子を含めた昔の塾のメンバーで、
その塾の先生が経営している居酒屋へ。
そこで友達の一人が、
「俺は地元の海が好き。
もっとこの海をみんなに広めたい!
だから、この海の見えるところで店を開きたい!
京都で消防士をやっていたけど、もう辞めてきた!」
と言いだしました。
最初は本気かどうか分かりませんでしたが、彼は本気でした。
実際に、4月に店をオープンさせました。

で、他の女友達から、
「がっちゃんも帰ってきなよ!
薬局やったらええやん!
漢方作ってよ!冷えに効く漢方ないの?」
なんて言われました。(がっちゃんとは、私のあだ名です。)
「そんな簡単に薬局なんてできないよ。
しかも漢方の知識は薄すぎて、人を診断するなんて今の力じゃ無理!」
なんて思いながら、その前に今の町の現状を見てしまったため、
「それもありだな。」
と感じたのでした。

「なぜ自分が山口にいるのか?」
この疑問の答えが分かった気がしました。

この2週間後、上司に勧められて、第3回神戸医療イノベーションフォーラムに参加しました。
面白い人がいるからと。
それが狭間研至先生でした。

きりがいいので、今日はここまでにします。
また明日もご覧下さい!

P.S 先ほどの同級生が開いた店のfacebookのページです。
もし何かの機会で私の地元に寄ることがあれば、ぜひ行ってみてください!
そんなことを言いながら、私もまだ行けていません。
帰ったら行こ♪

2013年11月 2日 (土)

私が大手調剤薬局を退職し、ド田舎の地元の病院に転職した理由 その2

まず、私がぶつかった疑問について、もう少し詳しく書きます。

「なぜ自分は山口にいるのか?」

私は福井県出身で、大学は大阪。会社に入り山口に配属されました。
会社に入るときは本当にどこでもよかったんです。
田舎の地元に帰りたいなんて思ったこともなかったし、
しいて言えば、友達の多い関西圏がよかったですが、
それは店舗が少なく難しそうなので。
しばらくは、「山口に薬剤師が少ない」って理由で自分を収めていました。
でも1,2年に1回の異動を繰り返すうちに、
「どこの誰だか分からない人に薬を渡すこと」に疑問を持ち、
結局この疑問が私の進路に大きな影響を及ぼしました。

「門前薬局というビジネス、処方箋通りに薬を渡す薬剤師って何なのだろう?」

仕事を初めてしばらくすると、このビジネススタイルに疑問を持つようになりました。
特にこれといった努力もせずに、病院の前に薬局を作るだけで患者さんが入ってくる。
すごい割のいいビジネスだと思いましたが、
こんなのでいいのかな?と素直に思いました。
狭間研至先生の言葉と借りれば「コバンザメ商法」。
まさにそんな感じでした。
で、そこで働く薬剤師は、何か淡々と目の前の業務をこなしている。
これも狭間先生の言葉を借りれば「タバコ屋。銘柄と数が合っていれば問題ない。」
特に、忙しい店舗では、まず業務効率が優先。
いかに調剤室を効率よく運営するか、薬歴を短い時間で書くか。
そんなことばかりにこだわってました。
何か大切なものを見失っていました。
(また後日書きますが、私は門前薬局を否定するわけではありません。むしろ肯定派です。)

こんな状態だったので、次の目標が決まれば薬剤師を辞めようと思っていました。
目標もなく仕事をしていたので、当然かもしれませんが。
このぬくぬくした場所にいても社会に通用するビジネスマンにはなれないんじゃないかとも思いました。
だから、途中で薬剤師として成長するのを止めてしまいました。
研修認定薬剤師もスポーツファーマシストもサプリメントアドバイザーも、全て失効。
もったいない。。。

まあそんな状態でしたが、毎日仕事にあふれ、
会社のエリア内での仕事も任されるようになり、それなりに充実していました。
2,3年目は明らかに反抗期で、いろいろなことに疑問を持ち、上司を困らせていましたが。
力はそんなにないのに、文句だけは一人前に言っていました。
でもその時に考えたことが今に確実に繋がっています。
そういう気持ちも大切にしないといけないですね。

そして4年目からは管理薬剤師。
5年目には大規模店舗に異動、エリアの教育研修担当者に。
このころからはほとんど休みなく働いてましたね。
でも仕事が多いのは嫌いじゃないので、充実していました。

管理者として意識していたことは、
「調剤過誤、クレームは絶対に起こさないこと。」
この二つって誰も幸せにしないんですよね。
患者さんも、店舗スタッフも、病院関係者も。
だからこれには徹底的にこだわりました。
それでも年に数件は起こりましたが。。。

もう一つは、患者さんが居座りたいような待合室を作ること。
どうしても待ち時間があるので、できるだけ待たされ時間を短くしようと思いました。
みんな、待合室の飾り付けや掲示物などを頑張ってやってくれました。

教育研修担当者としては、
「自分がされて嬉しかったことは、人にしてあげる。
  自分がされて嬉しくなかったことは、人にしない。
 自分がしてほしかったことは、人にしてあげる。」
私が一番好きな言葉が
「己の欲せざる所は人に施すなかれ」(論語)
ですので、この精神に則りやってきました。
もちろん店舗運営も、自分の行動も。
なかなか人を育てるのは難しかったですね。

このころは薬剤師としてではなく、マネージャー、リーダーになるにはどうすればいいか、
ということばかりを意識していました。

そして6年目になり、会社の薬剤師不足も手伝って、更に忙しくなりました。
まあでもそのうち好転するかなと我慢していました。
そんなときに急に上司との面談。
この面談の不調が、私を大きく転職へ動かしました。

さて、今日はこの辺で。
明日はこの一年のたくさんの方々との出会いについて。

P.S 2,3年目の反抗期のころ、大阪で松屋に行きました。
頼んだメニューは牛めし。一番安いメニューですね。
カウンターに座り、牛丼ができる過程を見てました。
あんなに安いメニューなのに、店員さんが一生懸命作って下さいました。
そして、ふと思いました。
自分は塗り薬1本、目薬1種類、シップ1種類、飲み薬1種類、
そんな患者さんに全力で応対しているのだろうか?
答えは「NO]でした。
この出会いは私にとって衝撃でした。

2013年11月 1日 (金)

私が大手調剤薬局を退職し、ド田舎の地元の病院に転職した理由 その1

久しぶりにブログを書きます。

昨日で、大学卒業から6年半勤めた大手調剤薬局での実勤務が終わりました。
今日から1ヶ月半有給消化をし、
12月の中頃から地元に帰り、田舎の病院薬剤師として働くことにしました。

この答えにたどりつくのに本当にたくさんのことを考えました。
そのいきさつについて、自分の記録としても残しておきたいので、ブログに書くことにしました。
長編になると思いますので、何日かに分けて書きます。

まずは薬学部に入学した理由から。
それは、親に「薬学部に行ってみたら?」と言われて何となく薬学部を目指して、
運よく後期試験で通ったわけです。

薬学部での生活は楽しかったですし、充実していました。
勉強は好きだったので、たくさんのことを頭に詰め込みました。
でも、今思えばそこに「患者」は存在していなかったですね。

そんなこんなで、特に手こずることもなく薬学部を卒業し、国家試験を通過。
薬剤師となったわけです。
就職活動も概ね順調でした。
最初は開発とかCRCとかに憧れていたわけですが、
まあそんなに簡単になれるものではなく、
それほどビジョンがあるわけでもなかったので、すぐに断念。
MRになって頭をペコペコ下げるのも嫌、
病院は実習先のイメージが悪かったから×、
ドラッグストアは、薬じゃない物もたくさん扱っていて、
薬剤師としての仕事ができなさそうだから×、
地元は田舎すぎて×。
そんなこんなで調剤薬局を選択し、たくさん説明会に行き、
その中で最も「フィーリング」の合った会社に入ったのでした。

今思うとこの選択はすごい恐ろしいものでした。
私は就職するまで調剤薬局に行ったことはなく、
薬歴を見たこともなかったのです。(そういえば実習先でも見せてもらわなかったなぁ。)

そんなわけで大手調剤薬局に就職し、1か月の研修を経て山口県の店舗に配属されました。
最初に配属された店舗は患者数も薬剤師数も多く、とても忙しく、
それに加え上司とそりが合わず、半年で異動。
あの時はとにかく目の前のことで必死でしたね。

そしてぶつかったもう二つの壁。
「自分はなぜ山口にいるのか?」
「門前薬局というビジネス、処方箋通りに薬を渡す薬剤師って何なのだろう?」

これには大きく悩みました。
本当に色々考えました。
正直薬剤師の必要性なんて感じなくなってきて、
去年くらいまでは、転職先では薬剤師の仕事は辞めよう。とまで思いました。

ただ、結局転職先を決めかね、ズルズルと「処方箋通りに薬を渡す薬剤師」を続けてきました。
そして、1年前くらいからいよいよ気力が追いつかなくなり、
転職先を本気で探しだしたのですが、
他の職種を見るより、まずは薬剤師に何ができるのかを考えようと思い、
たくさんの勉強会や講演会に行きました。

そしてそこでの数々の出会いに私は心を動かされ、
最終的に地元の病院に勤めることに決めました。

長くなりましたので、これから先は明日書きます。

P.S ちょっと話はそれますが、最初の店舗で辛かった時はたくさんの音楽に励まされました。
一番励まされたフレーズ、
「頭下げるため生まれたわけじゃない
こんな運命なんて望んでない
いつか夢見ることを忘れてしまったね」(Stamping Ground/REAL REACH)

そんなREAL REACHも今年の12/21で解散。
自分の天職とも重なり、なんか運命的なものを感じます。
本当にこのフレーズには勇気をもらいました。
ついでにREAL REACHでもう一つ好きなフレーズ
「一度しかない人生さ 人に笑われたってもええじゃないか」(Survive/REAL REACH)

いつも迷った時に原動力になる言葉です。

その他のカテゴリー

2018年5月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

薬剤師ブログタイムズ

  • 薬剤師ブログタイムズ ブログランキング参加中!

日本ブログ村